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  •   鐙瀬溶岩海岸ってどんなところ?


名前の由来
永正四年(1507年)福江の領主であった宇久覚(うくさとる)が死に、宇久囲(うくかこむ)が16代領主として19歳で跡を継ぎました。 しかし、この継承によって弱体化したすきに乗じ、その妹婿である玉浦納(たまのうらおさむ)の反逆にあい、辰の口城を攻められます。囲公はうまく馬で逃れるが、この地で馬の鐙(あぶみ)が切れてしまいます。陸路での逃避はこれまでと断念し、囲公は漁舟で黒島に落ち延びましたが、反逆党が追ってきたため自刃されました。 以来この地を鐙瀬と呼ぶようになったと伝えられています。(玉之浦納の反乱)
※玉之浦納は、宇久家の血を引く小豪族で、父の代から福江島玉之浦に住み、対朝鮮貿易などで本家をしのぐほどの財力を蓄えていたといわれています。そのため領主・宇久氏は、懐柔策として宇久囲の妹を玉之浦納に嫁がせていました。
鐙瀬2
鐙瀬1

鐙瀬3


溶岩海岸ができるまで
西海国立公園・鎧瀬溶岩海岸は、福江市の南部に位置し、北には鬼岳があり、鬼岳の300万年前の火山噴出物(カンラン石玄武岩溶岩流)が海水により急冷されてできた「溶岩海岸」である。
岩場は激しくごつごつしており、海岸のいたるところにタイドプール(潮だまり)が点在し、種々の海浜生物が生息している。
タイドプールには対馬暖流による海水温度の影響、地形的な特性から、カメノコキクメイシやノウサンゴ、エダミドリイシなどのサンゴの仲間や、サンゴイソギンチャクなど見られる。
鬼岳